なんだかんだでハッピーエンドで終わればいいと思っている

 久しぶりすぎてカテゴリの選び方などという基本的な書き方すらも忘れてしまった。
 最後の更新が昨年で終わっている。正確には一年と一ヶ月ほど前が最後の更新で、「父が亡くなった」という報告でした。
 あれからたくさんの辛いことがあり、しかし良いこともあり、「辛いことだけで終わってはいませんよ」という報告のためにこうして久々のブログ日記を書いている。
 一年間で納骨を済ませ、かつてなかったほどの経済的ピンチを乗り越え、カクヨムに投稿して少し有名になり、仕事の修羅場をくぐり抜けて、ねこは全快し。とにかく色々なことがあった。
 なんだかんだでハッピーエンドで終わればいいと思っている。様々な人と関わって応援されてきた人というのは、人生において期待をたくさん受けている。一緒に何かを成したいなあという人もいる。ただ単に会って飯でも食いたいなあという人もいるし、この人を愛したいなあということもある。
 応援を受けてそれにかなうことができなかった場合の失望感というのは凄まじいもので、あれほど皆から声援を受けたのにうまくいかなかったこと、そのあと再起して「もう一度でも二度でも俺はやるんだ」と更に勝負に挑んだこと、そちらは見向きもされなかったこと、いずれも大変でした。
 だけど俺はまだやります。それが応援を受けたものがやったらいいことで、誰かが諦めかけたバトンを受けていくということでもあるし、俺が次のバトンを渡すためにも、たまには走らないといけない。急に走ると転ぶぞ。
 先日、数年ぶりに会った知人に「久しぶりに会ったけど、自分が紹介した先で一石さんが順調になっててよかった」と笑われた。
 俺はこの人と「ひとつラノベでも書いてみましょう」と企画をこねあってこねあって、でも忙しいしまあいっか的にそれらはストップし、俺の創作意欲に火だけはついたのであれこれ書いていたら剣脚商売というよくわからないものが俺のオリジナルとして生まれた。
 なんかそういうことだ。俺は皆さんより少し長めに生きているので、少し多めに期待を受けてバトンを渡されている。ゲームだったり音楽だったりラノベだったりのそういうやつだ。ここにたくさんある。
 いつの間にかつながって今なんとかなっている。今後どうなるかは、もちろんわからない。
 そしてハッピーエンドの定義の話なんだが、全部うまくつながって全員うまくいってわーいわーいというのだけがハッピーエンドではないと俺は思っている。