少しだけ交友的な話

 そんなわけでとりあえずブログをはじめたものの、右も左もわからず、誰か水先案内人的な、ブログに詳しい親しい人を探しているところです。


 それはそれとして、今日は朝から、喉がものすごく痛くて不快なんですよ。
 でも、実はこの『ものすごく』の部分は、ちょっと調子に乗っていて、正直に言ってしまうと嘘なんです。
 でも、ありますよね。友達に話題を振る時に、「この前ものすごいもの見ちゃってさ」とか、そんなにたいした話でもないのに勢いで『ものすごい』と付け足しちゃって、ハードルを上げてしまったりとか。
 あと、ご飯食べた時に、「ものすごくおいしい!」とか言ってしまうんだけど、実はまあ、中くらいより少し上かな、と冷静にはそう思っているけど口に出てしまうとか。
 多分、外人さんが「ファッキンファッキン」とか言っているときもそう言うノリなんだと思います。これはなんて言うか、『悪意のない嘘』、というか、『悪質ないたずら』のちょうど逆的なものなんだろうと思うんです。


 だから、まあ、喉がものすごい痛いというのは、正確に裁判とかされて検察側に問いただされたら、「はい、確かに本当はものすごく痛いわけではありませんでした」って謝るしかないし、でもそう言うときって、弁護側の人が裏できっと何か口裏合わせをして来るんだと思うんですよ。
 「絶対に否認を貫き通すんだ」とか、「その辺の記憶は定かではありませんと言うべきだ」とか、何か僕のためを思っていろいろと作戦を考えてくれるんだと思うんです。ヘタをすると、「君の住んでいる地域では、たいした場合でなくとも『ものすごく』とか言う地方だと証言してみてはどうかな?」とか言われて、それを証明するための偽物の証人的な人とかが連れてこられて、その人が「はい、『ものすごく』はとても軽々しく使うんです、ものすごく」とか言い出すんだと思うんですよ。


 だからね、口は災いの元だっていう話を僕はしたいんですよね。
 あと、これって多少はコラムっぽくなってるんですかね。喉が痛いのを朝から気にしていて、それがいつまでたっても治らないから、とりあえずこうして書いてみたんですけども。
 そしてですね、はい。だから何度も言っているように、本当は『ものすごく』痛いわけじゃなくて、もっと軽い痛みなんですよ。
 表現すると、突き刺すような痛みというか、そういうのが今朝からずっと続いているんです。
 でもここでいう『突き刺すような』っていうのは、あくまで『ような』の部分が大事で、何も突き刺さってはいないし、実際刺されているような痛みは感じていないわけですよ。
 でも文章を書き始めたら何らかの決着はつけないといけないわけで、あくまで表現としたら『突き刺す』が近かったので、それはあくまでやんわりと表現しつつ、『ような』の部分に大きな意味があるって言うことを、汲み取って欲しいんですよ。
 あくまでって言いすぎですね。最近某閣下でも、そんなに繰り返しは言いません。
 とにかく大事なことは、僕のこの微妙な表現の機微を、あなたにも察して、汲んで欲しいということなんですよ。でも、僕とあなたの仲では、まだそれほどの関係性は築けていないわけじゃないですか。だから、そういうニュアンス的な部分が少しでも伝わってくれれば良いなと思うので、もっと親しくなりませんか。
 その上であなたがブログとかに詳しかったりしたら、僕としてはばんばんざいです。ばんざーい。って言うと、まだ喉が痛いですね、はい。