西村京太郎サスペンス

 昔、太った友人に「病弱なデブってなんか認められねーよな」って言われてすごく頷いたことがあります。肥満は不健康の象徴だけど、太ってる人はなんだか必要以上に陽気で元気であることを強要されている気がします。
 その逆も真なりで、僕のように小さくてひょろっとしている人間は器用であることを期待されがちな気がします。要は「この背格好では体力は無いだろうが、その分だけ知能か器用さが備わっているはずだ。背が低くて口がうまい奴なら手先が器用なのがセオリーだろう」という、RPG的な役割分担のイメージが先に立つのではないでしょうか。
 体格のいい人間が戦士なら、頭のいい奴は魔法使い。小さくて天邪鬼なのは盗賊がお似合いだ。実際僕はファンタジーRPGの職業では盗賊が一番好きで、盗賊をよく選択します。
 しかし実際の僕はとんでもなく不器用なんですよね。


 わかりやすい例としていつも挙げるのは、カードゲームを遊ぶとき。
 僕はトランプなどのカードを手札としてうまく広げて自分の手に持つことが出来ないし、カードをシャッフルするのも出来ないです。


 ちなみに頭の方も不器用です。ひとつの問題に取り掛かっているときに、同時に他の問題にかかずらわることは困難を極めます。
 いくつかの案件を同時に抱えることは出来ますが、同時に進行することは出来ません。何故同時に抱えることなら出来るのかというと、自分のキャパシティに無理やりつっこんでひとつずつ強引に潰していくことなら出来るからです。
 今月は作詞3本やってシナリオ書きながら別のシナリオのプロット作って、このリライトも○日までには仕上げる予定、とか。最近はそんなに忙しくなることも少なくなりましたけどね。
 しかしこれが別個の案件ならばこうやって一個ずつあたっていくこともできるのですが、それらが相互に作用しあって絡み合っている場合は、僕の手に余ります。
 これをやるにはまずこっちを片付けた方が効率がいいけど、それをやると人間関係に角が立つし、でも経済的なことを考えるとこういう順番もあるしな……とかそういう事態です。ああややこしい!
 それぞれの案件が別件であるにもかかわらず微妙に重なり合っていて、それでいて違うベクトルで考えていくといくつもの正解のルートが生まれるんだけどどれを選択するべきかとか、頭がおっつきません。自分、不器用ですから。
 上記のような問題はゲームシナリオだったら最適な形ですが、僕はそういうことを考えるのはシナリオを書いてるときだけにしたいのです。ひとつのルートしか選択できない実生活において、マルチエンディングは求めていません。


 今週の日曜日にいくつか用件が重なっていて、どうしようか悩んでいるいまの僕がまさにそんな感じで、考えていると頭が混乱してきます。
 久々に会う知人と16時から横浜のワールドポーターズ近辺で飯でも食おうってずいぶん前から約束してたんだけど、その同じ日に渋谷で15時から見に行きたいインストアライブが。渋谷に行く途中の駅で、10時からはアナログゲームの集まりがあるからそれにも顔を出したいけど、その両方に顔を出していたらワールドポーターズで飯なんか食えない。アナログゲーム集会は夕方からは花見に移行するらしい。それも出来れば行きたい。アナログゲームの集まりには、僕が行けるなら是非一緒に遊びに行きたいと言っている友人もいる。
 ゲーム→ライブ→飯→花見の時系列に並べることは出来るけど、時間と場所と約束と所持金を天秤にかけると、どれとどれをどう組み合わせてどうやったらいいものか、ああーわーからーないー。
 何が言いたいかというと、僕には一生、時刻表トリックなんて思いつけないだろうなということに今日気づいたって話です。