少しだけ逆説的な話


 この歴史的大発見(笑)を、「つまりアキレスは亀に追いつけないって言うことですね」と評している人がいて、「なるほどなあ」と思いました。
 この有名なアトムのパラドックスアキレスと亀の話は、文系の頭で考えると何がおかしいのか理解するのにだいぶ時間がかかり、「そんなばかげたことについて悩む必要なんて無いじゃないか、アキレスが亀を追い抜けないはず無いだろう常識から言えば」と結論付けてしまいがちなのですが、理系の頭で考えると思考の迷路に陥ってしまう問題みたいですね。
 しかしそれでいて、この話は文系の人間の興味をひきつける。「アキレスが亀に追いつけないとするならば、その亀を一度は追い抜かし、その後追い抜かれた兎というものは、逆説を外と内から嘲笑するアリスの世界の招き手のようだ」と、筒井康隆も言っていました。


 僕はパラドックスというものについて考えをめぐらせると、どうしてもそれが、理にかなった詭弁のような気がしてきてしまいます。だからとっても大好きです。
 「サラセン人は嘘つきだ、とサラセン人は言った」という嘘つきパラドックスなんて素晴らしいじゃないですか。こんな短い言葉の中に、見事なメビウスの輪が結ばれている。
 思考を堂々巡りさせて、自分の立っている地平が本当に正しいものなのかどうか、危うい気持ちにさせてしまう。
 その昔、ヨーロッパの一部の地方では、「優秀な頭脳を余計な問題にかかずらわせることになるため、新たな逆説の発見を極力禁止する」と法律で定められたなんてこともあったとか。これじゃ学問に対する魔女狩りだ。
 笑い話みたいにも深刻な話みたいにも見えますが、古くから何かを制定するような人間は文系の人間が多く、数学アレルギーみたいなのがあったんじゃないですかね。ノーベル賞に数学賞がないのは、ノーベル当人が数学者を嫌っていたためなんていう逸話もありますしねー。


 最初の方にも書きましたが、理系の問題を文系で考えていくと、数学の話が哲学になってしまうことがあって面白いですよね。単純におかしな発想の生みの親になって、そこから面白い話が作られていくこともありますが。
 あさりよしとおは科学漫画も描いているだけあって、この辺の解釈には素晴らしいものが多い気がします。シュレディンガーの猫を逆手に取った形で、生きているとも死んでいるとも言える猫=ゾンビ猫ってのを出してギャグにしていたのは「いいアイデアだなあ」と思いました。そこから『シュレディンガーの猫VSバスカヴィル家の犬』ってのが生まれてアフタヌーンで掲載されたらしいけど、そっちは読んでないな。
 ところで「全ての詩人は嘘つきだ、と一石楠耳は言った」とすると、あなたはこの発言を信じますか? 信じませんか?
 嘘の数でも数えつつ、四月からもよろしくお願いいたします。