千原兄弟とTwitter

 自分の中でうまくまとまっていないものの、なんだか自分の思う確信に近いことを書いている文章を読んで、それであっているような気がする。しかし何の疑問もさしはさまずに頷くことにはまだ躊躇がある。何かが引っかかっている。自分にとってその課題が何なのか、どう答えを用意するべきなのか、その意義やありようを心の中で完全にこなせていないからだ。
 そういうことが立て続けにあったので、リンクだけ貼っておいてあとでまた読み返して、これが本当に正しいのかどうか、自分の意見と同じなのかどうか、脳が活性化しているときに結論を出すことにする。


 しつこいぐらい何度でも言ってやりますが、千原兄弟で面白いのはせいじの方 - 昨日の風はどんなのだっけ?
 僕も残念なのは兄ではないと思っています。千原せいじは面白いのに、何でこんなに受け入れられないんだろうと疑問に思っているんですけど、トークのネタとしてよくない印象を植え付けられているからなのかな。
 僕はこちらの方ほど真摯に千原兄弟について考察をするための土台がないので、この件に関してはいまだ漠然とした答のみしか用意出来ていないです。ただの個人的好悪の可能性も捨てきれないしなあ。


 トゥイッターのアホさは最強だ/Don't Tweet on Me 〜テレビの上をいく「くだらなさ」が業界最大の勝者になる日〜
 こちらはニューズウィーク日本版の記事。あちらの記者が書いているもののようです。
 かなり頷ける部分があったんだけど、やっぱり自分自身がついったーやってないから、なんとも言えない部分もある感じ。
 以下引用。

 私は気付いた。ひょっとすると、インターネットが生み出した数々のばかげたもののなかで、最も成功を収めるのはトゥイッターかもしれない、と。
 トゥイッターの強みはその「くだらなさ」にある。トゥイッターは、単なる目立ちたがり屋やなんちゃってセレブ、へっぽこ広報マンの遊び場に成り果てている。最近のある調査によれば、書き込みの4割は「無意味なおしゃべり」にすぎないという。
 その点ではテレビも大差ない。テレビをつければ、太り過ぎの人が見るに堪えないダンスを披露し、才能のない人が下手くそな歌をがなり立てている。要するに、くだらないものは「売れる」のだ。
 トゥイッターのお見事な点は、くだらなさでテレビの上をいっていることだ。まともな知性の持ち主であれば、俳優のアシュトン・カッチャーや歌手のアシュリー・シンプソンの頭の中になどまったく興味がないだろう。ところが、トゥイッターでカッチャーの書き込みを読むために登録しているユーザーの数は350万人。シンプソンの登録読者も何と150万人を数える。これは、大半のテレビ番組の視聴者数を上回る数字だ。

 くだらないものが受ける、テレビはそのくだらなさにおいて郡を抜いているので大衆の評価を受けた、ここまでは自分も同意できます。ついったーがくだらないかどうかは、やっていないので良くわかりませんが、正直だいぶくだらないものだろうと想像はしています。
 一部の才気ある人はそこそこに活用して面白いことをやっていると思いますが、8割ぐらいはくだらない人々のどうでも良い言葉で溢れている印象です。チラシの裏の集合体なイメージ。飯を食ったとかどこにいるとかを発信する意味を、まだ僕は見出せないです。
 意味があるものが面白いとは限らないので、それで良いんだろうとは思うんですけどね。このニューズウィークの記事の最後に、もうひとつ面白い言葉がありました。

 だが、トゥイッターが有意義だとか革命的だとかというウェブ専門家のもっともらしい発言は忘れたほうがいい。ユーザーの大半は単なる娯楽しか求めていない。

 日本人にはブログよりもこっちの方がちょうど良いんじゃないかなあ。何故ってこれも感覚的に言ってるだけだからなんとも論理的でないつぶやきなのですが。
 というわけで、この課題はいつか先に持ち越すのです。