夜はもう既に長し、乙女でなければ

 ピアノ屋のダグさんが「読んでたら君を思い出したから」と言って貸してくれた、森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』を本日読み終えました。
 大変面白かったです。オモチロかったです。
 そのことをツイッターでつぶやいたら、「今日からそれを丁度読むところでした」と驚きのニアミスをしていた人がいて、ご都合主義?
 
 借りたのが恐らく10ヶ月ぐらい前で、すごくゆっくり少しずつ読みました。
 倒れて点滴生活の頃に割と読み進めて、最終段だけ大事にとっといて、年始の帰省とかの辺りで一気に。
 読んでいてすぐに思ったのは、「これがわたしが書きたかった文体だ」ということです。
 十代後半ぐらいの頃に強く思っていた、「読んでいるだけで言葉が気持ちのよい、特徴のある文体」。
 それでいてケレン味がなくて読みやすく、それ自体を知っていないと理解できないような表現は少なめに、独特の言い回しは全面に押し出す。
 このリズム感は『四畳半神話大系』をアニメで見た時にも感じていたんですが、読んでいてノリますね。七五調なのかな。すごくしっくりくるリズムで言葉が並べられていました。
 良い余計。
 
 そして、外堀を延々埋め続けている主人公、朦朧とする意識の中で自信満々に放った言葉がよりにもよって「現実と妄想とをごっちゃにする能力ならある」とか、読んでてわたしもわたしを思い出しました。
 歩けよ乙女、わたしは走る。すぐに息切れして止まってしまうだろうけれど、膝を痛めないように細心の注意を以って走る。