ドラクエのドラマ

 昨日のTRPGの楽しさのテンションのまま、来週遊ぶ予定のキャラクターをあれこれ妄想していたら夜が明けていた。
 うっそー。あらやだー。
 世間は今ゲームと言えばドラクエの最新作の話題で持ちきりだと思いますが、それに逆行するようにアナログなゲームで楽しんでいる日々です。


 昨日のセッションでの名場面。
 僕の担当しているキャラクターは、敵の弱点を指摘することでパーティーメンバー全員の攻撃力を一斉に上昇させるのが、戦闘での重要な役割。しかし、同じメンツで何回も同じキャラクターで遊び、何度も戦闘で僕の援助を受けているにもかかわらず、それを活かすことが出来ないキャラクターがいました。
 パーティーの中で回復役を担っている、ホビットのキャラクターです。常に回復に徹しているし、攻撃行動を取る必要はないし、もし攻撃しても当たるわけがないから、僕のキャラクターのやってるダメージアップ(この援護は問答無用でその場にいる全員にかかる)が、そのホビットだけまったく意味を成していなかったんです。
 ところが、辛い戦闘が続いたダンジョン攻略の最後の部屋、ラスボスとのバトルにおいて、回復役のホビットに千載一遇のチャンスがめぐって来ました。
 僕のキャラクターはそのラスボスによって戦闘不能にされてしまい、仲間たちもだいぶ疲弊したものの、ラスボスも虫の息。そこでそのホビットの順番が回って来ました。
「ひょっとしたら攻撃してみても良いんじゃないか、これ?」
「えー、でも攻撃スキル持ってないですよ」
「だけど相手の回避もラスボスにしては低いし、命中判定は実質ゲームマスターとのダイス目勝負で決まる感じじゃない。相手は残りHP3点しかないみたいだし」
「だって攻撃なんかしたことないから武器持ってないし。素手ですよ、素手。これじゃ防具に弾かれるでしょ」
「あれ? 相手の防御力、ぶっ倒れた一石さんのキャラが足してくれた攻撃力と一緒じゃん。ってことは、攻撃が当たれば防御力は無いも同然だよ」
「ちなみに素手のダメージってどうやって計算するんでしたっけ」
「サイコロ2個振って合計。だから、アップした攻撃力と相手の防御力が相殺するから、サイコロ2個振って相手のHP以上が出れば勝ちってことだ」
「つまり攻撃が当たりさえすれば、ダメージロールでピンゾロ出ない限り倒せる!」
 かくしてホビットは、おそらく二度としないであろう攻撃を素手でラスボスに行い、今まで足されていたものの発動することなく消えていった攻撃力上乗せスキルの恩恵を背後に抱えつつ、見事ピンゾロを振ることも無くラスボスを倒したのだった。
 背の小さいホビットだし、素手での攻撃なので、仕方ないからラスボスの足元からジャンプしながらアッパーカットでKO。昇龍拳だ!


 こういう、偶然が生み出すドラマって良いですよね。
 たまたまホビットの順番の前にラスボスが虫の息になっていた。たまたま僕のキャラはそのラスボスの手で戦闘不能に追いやられていた。たまたま僕のかけたスキルのダメージ上乗せと相手の防御力が同点だった。たまたまそのホビットにとって、いままで僕のスキルは役に立っていなかった。だから楽しいんだよなー。
 僕は、ドラクエで非常に印象に残っているシーンがあるんです。
 ドラクエ3ファミコンでリアルタイムで遊んでいたとき。僕のパーティーには、商人がいました。商人はお金を拾ってパーティーの財政を助けてくれて、戦闘でも戦士の代わりに意外な活躍を見せてくれていました。
 特に転職もすることなく、そのまま育っていった商人。そしてシナリオの中に現れた商人の町。ほとんどの人はここでルイーダの酒場に戻って商人をひとり作成して、低レベルのまま街に預けてゲームを進めるようです。しかし僕は「これはこういうことなんだな、うん。おおー」と勝手に納得して、そこまで一緒に冒険してきた仲間と別れて、街を彼に任せることにしました。その後その街がどうなるかもまったく知らずに。
 その後の展開のドラマチックだったことと言ったら。いままで数々の冒険を共にしてきた仲間との別れ、発展してやがて変化を見せる商人の街。新たな仲間との合流、ガラリと変わるパーティーの戦闘セオリー。頭の中に、色んな物語が浮かびました。
 あれは良かったなあ。昔はドラクエといえば、キャラクターがしっかり作りこまれてる4が好きだったけど、今思い返すとあの3の、自分で物語を想像していく感じ、やっぱりいいなあ。夢中になれるゲームってこういうのなんだろうな。