十日前の熊本旅行・2

 法事本番。お坊さんが来る前に、まずはお墓参りに。母方のお墓は、母の実家の目と鼻の先にあった。
 母と叔父と叔母と6人ぐらいでお墓に向かう。「火つけといて後で各自に配れば良いから」と叔父が線香一束に火をつけて、僕に手渡す。と、そこでお供えを忘れてきたことに気づく。
 誰が取りに行くのかとか車を使うの使わないのとかでもめて、30分ぐらいしてようやくお供えがお墓の前にたどり着く。その間大量の線香にモクモクとやられて、僕はずっと咳き込んでいた。げほごほげへ。
 線香臭くなった体で家に戻ると、続々とあいさつの人々が押し寄せていた。適度に挨拶を返していると、僕が漠然と覚えているかいないか、ぐらいのおばあさんたちに話しかけられた。
「久しぶりね。こめとぎ以来だなー」
「ああ、こめとぎ以来だ」
 立て続けにそんなことを言われたので、「はて子供の頃にこっちで米研ぎとかしたっけか」と思ったけれど、「こめとぎ」→「こめえとぎ」→「こめえ時」→「小さい時」ということだと気づく。
 「そうそう、あの時の米の研ぎ汁を使って大根を柔らかく煮ましたよねえ」とか適当なこと言わなくて良かった。


 坊さんの念仏とお言葉を聞く。
「12月といえば師走と言いますが、この師と言うのはわたしのような僧職のものを指します。自分は普段は畑で野良仕事をしながら坊主をやっているような身ですが、やはりこの時期は忙しくもなりますな」
 とかなんとか、僕はこういうお坊さんのお話が結構好きだ。


 仕出し弁当はお年寄りにも食べやすく作ってくれているのか、とにかく一口サイズだったので、アゴが開かない僕にも食べやすくて助かりました。
 熊本だからこういう時の仕出しにも馬刺しが出るんだぜ。日本酒で軽くいただきました。
 お腹壊しているのはまだ続いていたので、ご飯だけはきっちり食べたけど、お酒は殆ど飲まずに退室。女衆の手伝いをしに台所近辺をうろついてました。お茶煎れて過ごした。
 やがて夜になって、酒の回った人々による昔話に花が咲く。この中ではまだ若者の部類の僕は適当に抜け出して、本を読んだりお茶を飲んだりして過ごしました。

 これはお墓の途中の分かれ道の先、誰も通らないような獣道を下っていったところに建っていた、おそらくもう誰も住んでいない家の写真。「この家の人はたしか他所に行ったはず。行ったはず……だよ」と地元の親戚たちも記憶が曖昧の家。
 観光旅行ではまず出会えないようなその威容に心を奪われたので、一枚写真を撮影しておきました。
 この家の近くには、一体ぽつりとお地蔵さまも。

 鉢の雨水、枯れた花、祈るかのように手を重ねる座り姿。