十日前の熊本旅行・5

 十日前なので、12月15日。この日の昼の便で熊本から出ました。
 その後実家で熊本からの宅急便を受け取り、巨大な自然薯をすったり刻んだりして過ごしました。
 こうして概ね熊本旅行は終わったのですが、細かい面白い出来事もいくつかあったので、それについて書いておきます。


 熊本到着、空港内で迎えの車が来るのを待っていたとき。
 中学生の集団が妙に多いと思ったら、修学旅行の帰りのご様子。沖縄に行ってきたっぽい。しかもよく見ると制服が二種類ある。二つの別の学校が、同時に(合同?)修学旅行に行ってきた帰りだったようだ。
 中学生たちはロビーのひらけた場所に座って、校長先生か何かを待っているご様子だった。引率の中で一番偉い人のお話を聞いて、生徒も教師も解散という流れなんだと思う。
 片方のグループに、駆け足で校長っぽい人登場。その先生口を開く。
「はい、では手短に三つだけ。お帰りなさい、ご苦労様でした、気をつけて。以上、解散!」
 本当に手短だった。迎えの親御さんと共に、ばらばらと帰っていく中学生たち。
 隣のグループは校長先生風の人の話、延々と聞かされててなかなか解散しなかった。温度差にほくそ笑む。


 熊本から福岡に車を飛ばしていたとき、車内から外を見ると、「未来少年の夢のたこ焼き」と書かれている店があった。
 何の店だあれ。たこ焼き屋なのかやっぱ。


 地元の古い写真を集めた本を見せてもらった。阿蘇白水村写真史という体の本。
 その中の写真に、「巨人大会とだけ書かれた写真、詳細は不明」とキャプションが付いた素敵写真が。たしかに大柄の人が写ってはいるが、なんだよ村の歴史の本で詳細不明って。
 一応巨人大会についてだけ解説があった。「当時は身長170センチ以上、体重100キロ以上の人の事を巨人と呼んだそうです。巨人大会とは、大柄な人が集まって飲み食いをする集まりだったようです」。
 自分には全然関わりの無いイベントだな巨人大会。飲み食いだけ参加しても良いですか。


 見事に誰ひとりとして男衆は一切家事をやらない、我が実家。僕は台所に立っている方が性にあっているので、お茶を煎れたり膳を運んだりして過ごしていました。
 そんな母の実家で暮らしている兄弟最年長の叔父さん。以前に奥さんが入院したときのこと。実家に住んでる人間ももう他にいない、近所に住んでる娘もたまたま手伝いに来れない。
 米を炊くことも洗濯をすることもお湯をわかすことも出来ない叔父は、家に作り置かれたものやみかんや菓子などを食べて数日過ごしたらしい。そんな叔父のお言葉。
「台所に立つぐらいなら、俺は生米を食う」
 九州男児ここにあり。