「実はこうなんだ」と付け足すだけで

桜の樹の下には死体が埋まっているんだよ」
「なにそれこわい」
「布団の中にはねこが眠っているんだよ」
「なにそれかわいい」
 何気なく目に飛び込んでくる風景も、そこに想像の手を一つ加えると、急に違った見方が出来るようになります。
 咲き誇る桜の樹の下に死体が埋まっていて、血が集まって出来た紅い花を肴にして、どんちゃん宴を催しているのだ。そう思うと薄ら寒いものがこみ上げてきます。
 それと同じように、この布団の中にはねこが丸くなっていて、中に入るとゴロゴロ喉を鳴らしてくっついてくるし、布団もあったかくなってる。そう思うとただの布団が急にいとおしく見えてきます。
 あなたがねこを飼っていないとしても、布団の中に本当はねこなんかいないとしても、「でも、さっきまで、どっかのかわいいねこがこの中で寝てたかもしれないよ!」と思うならば、そこに正体不明のかわいさは生まれてくるはずです。ないはずの死体でぞっとすることが出来るんですから。
 妄想って役に立ちますね。


 高校生ぐらいのときです。
 それまで当たり前のように「桜の樹の下には死体が埋まってるんだよ」と言っていたけれど、そもそもこんな物騒なことを最初に言いだしたのは誰だよ?
 そんな疑問が浮かびました。
 桜の話の度に「桜の樹の下には死体」とつぶやいている男子高校生という存在自体には、疑問はなかったようです。
 さておき、この話を最初に言い出したのは梶井基次郎だということにすぐ行き着くわけですが、よく考えたらこの話わたし今まで読んだことないや。
 梶井基次郎作品に触れる機会がなかったので、わたしが知る限りの梶井さんと言うのは、この物騒な発言を言い出した人だっていうことと、作風と顔の印象がだいぶ違うので女学生をガッカリさせることが非常に多い作家だ、ということのみです。
 ところが恐るべきは便利さのネット社会、青空文庫でやっぱり読めるんじゃないか『桜の樹の下には』。よしせっかくだから読もう。うわあ短い。
 そしてなんだこの「桜の樹の下に死体」の人、自分の書いてる詩とかとすごく方向性が同じじゃないか。
 まさか知らない間に自分の作風が梶井基次郎リスペクトになってるとは思ってませんでした。これから勉強して穴埋めしようかと思います。