父のここ一ヶ月の経過まとめ

 父は集中治療室を出ました。
 ここしばらく父の見舞い関係ばかりで実家に顔を出していましたが、備忘録的にここまでの経過を振り返ってみようと思います。
 長くなる上に皆さんにはあまり関係ないので、畳んでおきます。
 
 4月4日、父は横浜市大病院にいつもの予約で向かうつもりが、倒れる。
 タクシーを呼び母が付き添い、その後母は仕事のためにその場を離れる。
 父は予約通りの検診などを受けつつ、現状の体調不良について「急に身動きが取れなくなった、苦しい」と報告。いくつか検査をされる。
 「かかりつけの医者に行ってこれを見せるように」と紹介状をもらってそのまま一人で帰宅。
 4月6日、所用でわたしが実家に。父に挨拶して「この前大丈夫だったの?」と聞こうとすると、既にものすごく具合が悪い。「苦しくて動けない」と。
 かかりつけの心臓外科外来に連絡・相談している最中に、ここで初めて先日の市大でもらった紹介状が「すぐにでもこれを持ってかかりつけの医者に診てもらえ」と言われて渡されたものだと発覚。
 救急外来で診てもらい、処置を施して一旦帰宅。翌日にわたしは実家を離れ、自宅に。
 4月8日、また体調を悪くして家で倒れる。母が対応、救急車で再度かかりつけの病院に。そのまま入院。
 この辺りの不調は、どうやら心不全不整脈や腎臓機能の低下などによるものだったらしい。
 4月19日、心臓のカテーテル検査。わたしも様子を見に。血が出すぎて止まらなかったり途中で検査の腕を切り替えたりで色々と大変だったみたいだけれど、検査自体は滞りなく終わった。
 その後トイレに行くのに付き添ったら、帰りに非常に具合が悪くなって倒れ、大量の看護士さんに囲まれるハメに。本人は「明日にでも家に帰る」と言っているけど、この様子じゃすぐに家には帰れないなと思う。
 
 4月23日、退院。退院祝いと言うことでねこを連れて実家に。
 普段は父の近くにまったく寄り付かないねこが、真っ先に父の部屋に。布団で転がりまわって匂いをつける。抱き上げようとすると逃げるものの、時間があれば父のそばにいる。
 父はねこが来る前の日に、ねこの夢を見たらしい。我が家のオード・リーと、もう一匹の白と黒の縞のねこがいたそうだ。後者のねこは、既に亡くなった以前飼っていたねこだ。父は遥か昔に一度しか会ったことがない。
 ねこは本当に不思議だ。
 父は元気にむしゃむしゃ物を食ったりテレビを見まくったりしていたが、夜いざ寝ようとするも寝つきが悪い。眠れないでうろうろしているのが気になっていたけれど、深夜3時ごろに何か騒ぎ出す。話し相手になる。また具合が悪いようだ。歩けないので四つんばいでトイレに行っている。
 とりあえず一旦落ち着いたと言うことで、わたしは寝る。
 
 4月24日、朝8時に母が朝食を食べ、出かける。その際に父が出てきて「昨夜あまり眠れなかったから朝飯を一緒に食べて薬を飲んで寝る」と。
 わたしはそのやり取りを半分眠りながら自分の部屋で聞き、昼に起きると父はそこそこ元気そう。
 しかし昨日ほどの元気はなく、昼飯は布団から動かずパンを1枚食べたのみ。夕食はほとんど手をつけず、どんどん苦しそうに。
 寝る前には一旦回復したものの、眠りだして1時間ほどした11時過ぎ、「これはもうダメだ」と声を上げて家族を呼ぶ。眠ろうとすると苦しくてたまらないと言う。
 発作らしきものがおさまるのを見守りながら話を聞く。本人は渋ったが、「今すぐ病院に戻ろう」と判断して救急車を呼ぶ。わたしと母が付き添い、そのまま再入院。「明日の朝再度病院に来てください」と言われて深夜3時ごろに帰宅。
 こういった事態も懸念しての、ねこを家から連れてきての退院祝いだったので、わたしはしばらく実家に留まることにする。
 
 4月25日、朝6時半。病院から「緊急です、今すぐに来て下さい」と電話。電話を取った母に起こされて急いで準備。
 呼んだタクシーを待つ間にケータイに再度病院からの電話。「気道確保のために首から穴を開けて管を通すような処置をするかもしれないのですがいいでしょうか」と言われる。「いいですよ」と言うと「場合によってはこの処置で植物状態に陥ることもあるのですがいいでしょうか」と再度承諾を求められる。「……他に方法がない場合であれば、仕方がないですからお願いいたします」と母にも一度確認をとった後折り返し。病院へ向かう。
 病室に到着すると、今まさにストレッチャーに載せられて父が運ばれるところだった。そのままICUに。
 後から父に聞いた話だと、発作が起きて医師や看護士が集まって「家族に連絡を!」と大騒ぎだったらしい。「ああこれはもうダメだな……」と思ったまま意識が朦朧となったそうな。
 ICU内の待合室で処置が終わるのを母と待ち、処置後の父に会って話す。相当に悪くなっていた。顔は真っ青。点滴やら検査やらであちこちから管が伸びている。
 少し話し、母と共に一旦帰宅してもう一度寝て、夜に様子を見に。
 やはり相当にひどい。もうロクに声も出ない父。母をねぎらって遺言を伝える。
 発作は急性腎不全だったようだ。腎臓のカリウムが上昇して、かなり危険な状態だったらしい。まだ経過を見ないといけないと医師から説明。「急性のもので今それに対応する処置をしているから、この山を越えればかなり楽になるはず」と父を励まして帰宅。
 
 4月26日、父の顔色がまったく違う。元気。食事は取れていないらしいが、元気。
 最初はICU内の通常ベッドに寝ていたけれど、個室に移動していた。これ自体は別に何らかの問題による処置ではないらしい。
 ICUは面会時間が15〜30分と限られて、その分一日に二回は顔を出すようにしているのだが、夕方にもう一度訪ねるとまた別の個室に移動していた。落ち着かない。
 夕食は少し食べられたらしい。
 
 4月27日、「もしかしたらまた病室移動してるんじゃないの」と冗談を言いながら病室に行くと、看護士さんに「あと少ししたら一般病棟に移動しますので、よろしくお願いいたします」と言われる。
 父、かなり元気。食事も朝と昼しっかり食べたらしい。腎機能を安定させる為に差していた点滴や、血液の粘度を和らげる為の点滴、尿道カテーテルなどももうない。酸素を鼻から取り入れて、心電図の機械を胸に当てているだけ。「あと何日かで帰れるんじゃないか」と言っている。またそれか。諭す。
 今後の経過などを担当医師から聞く。「再度カテーテル検査をします。前回は造影剤を投与したのですが、それが体内で水として残って今回の発作を引き起こしたようなので、次は造影剤なしで。その結果などから、今後の治療をしていきましょう。思っていたよりもデリケートでしたので、ゆっくりと、ゆっくりとですね」とのこと。
 「二週間は入院ですね」と言われて父、落ち込む。ここ一ヶ月の流れ的に、一時的によくなったからって帰らせるわけないじゃん! と家族から総ツッコミ。
 今週いっぱいぐらいは実家にいるつもりだったけど、「父がICUを出るぐらいまで病院の近くで様子を見よう」という当初の目安がなくなり、退院待ちをしようにも二週間先ということで、急遽本日わたしは自宅に戻ってきました。ねこ連れて。
 一日とは言え退院して家で過ごした父の、その相手をちゃんとやってくれたねこをねぎらい、おいしいオヤツをあげて撫でる。今、隣りで丸くなって寝てます。