それだけを頼りに

葡萄をかじりながら歩いてきた
道端にへばりついてうねっているのは
僕の影なのか誰の影なのか
とにかくそこにはピアノが眠っていた
眠っているピアノを強引に起こして
寝ぼけた音色の鍵盤に触れている
だけれど決してうまく弾けることはない
何故ならその影はやっぱり僕の影なんだから


葡萄の種を空に向かって吐いた
飛んで落ちてくるまでのわずかな隙間に
種は発芽して見る見る木が育ち
葡萄はたわわに実っていった
僕はその光景を片目で見つめて
「ああ、また葡萄が味わえるな」とほころんだ
だけれど地面にその木が落ちる頃には
すっかり葡萄はしわがれてしまっていた


瑞々しさが失われているこの世界
日に焼けて家々が消失していく
視界に残っているものはそこにうねっている
僕の影なのか誰の影なのか


目を閉じて歩いてごらん
自分の行きたい公会堂まで向かってごらん
途中で電信柱やポストに
したたか頭をぶつけることも恐れずに
目を開けばそこは草原
ここはいつか夢で見た匂いがする
公会堂まではたどり着けなかったけど
僕も君もこの世界から抜け出せた


うねる影が手招きをしているのか
手を振っているのかはよくわからない
誰かの大声が響いているけれど
僕を止めているのか追い払っているのかはわからない
ポケットに小銭が入っているのは確かだ
でもこの小銭が役に立つかどうかはわからない
なんにもわからないまま歩いていたら
草原の端は切り立った崖だった


落ちて行く僕と笑っている顔
笑顔をしたのは落ちる前だったか落ちた後だったか
それもわからないけど仕方ない
僕にはその笑顔が
僕の笑顔なのか君の笑顔なのか誰の笑顔なのか
影の笑顔なのかもわかりはしなかった
僕はまっさかさまだった
とにかくそれだけが確かだった
それだけを頼りに僕は落ちていくことにした