息子想いの碇ゲンドウ

 またエヴァンゲリオンの話です。いいかげんしつこいと思われそうですが、時節のもの、流行り病のようなものだと思って見過ごしてください。
 今回は新劇場版:破に関するお話ではないです。旧作テレビ版から旧劇場版に渡るお話です。新劇場版のお話も多少混ざるとは思いますが、そちらのネタバレにはならないように書きますのでご安心ください。旧版のネタバレは含みます。


 エヴァンゲリオンの感想として「おいおいそれはちょっと」と思わず口出ししてしまう他人の感想があります。そのうちのひとつが「あのエンディングはねーよな」。これに関しては最近ようやく「そう言いたい気持ちもわかる」と少し大人になりましたが(でもTV版も劇場版もラストシーンは大絶賛している僕です)、もうひとつ、いまだにはびこっていて納得の行かない感想があるのです。
 それが、「ゲンドウはシンジに嫌がらせばかりしてる」とか「ゲンドウはシンジが嫌いなんだよね」とか言うもの。ゲンドウにとって実の息子は自分の目標をかなえるためだけの存在で、レイやユイの方がずっと上位にいるという認識。だからシンジに無理難題を吹っかけたり、あんな態度で接していると言うものです。
 エヴァンゲリオンの衝撃のラストに関しては、インターネットが普及した今では「いや、あのエンディング俺も好きだよ」という人の意見もチラホラと聞けるようになってきたのですが、シンジとゲンドウの関係については、いまだに勘違いしている人が多いような気がします。
 この思いが強くなったのは、「TV放映の新劇場版:序で初めてエヴァを観た人に先人がアレコレ答えるよ」みたいな交流が行われているところを覗いたのがきっかけです。さすがに以前のブームからエヴァにのめりこんで情報収集していたエヴァオタたち、年も重ねて自分みたいにある程度空気が読めるようになった感じで、疑問に対して的確な返答をしつつ、設定を語りたくてしょうがなくなってどうでもいい考察まで語りだすなんてこともなく、いい感じに交流は行われていました。僕自身もいまだにわかっていなかったヤシマ作戦のヤシマの意味に関しての説明を読むことが出来て、「おおー那須与一屋島かー」とか感心していました。
 でもなんで、「ゲンドウがシンジに辛く当たってるのは何で?」とかの質問に対して、「あくまでゲンドウにとってシンジは利用しているだけの存在だから」とか「そりゃレイの方がかわいいからだよ」とかの返答しかなくて、そのままみんなスルーしてるんだよ!
 僕が読んだのは交流しているところの話をまとめたものでしかなかったので、その話に参加できなかったのが歯がゆくて仕方がありませんでした。だからもうね、ここに書いておく。で、また同じような意見が出てきたら、このURLを貼り付けてそのまま読ませてやる。


 僕はTV版の放映当時から、「ゲンドウがシンジを嫌っている」の話をしている人に向けて、「何言ってるんだ!」と反論してきました。よく見ればゲンドウがやっていることは、シンジのことが好きでやっていることだらけじゃないか。言葉と態度が厳しいだけで、やっていることはシンジのためを思ってやっていることばっかりじゃないか! と。
 補完計画とか死海文書の記述がどうこうとか色んな理由も付随しているけれど、ゲンドウがエヴァにシンジを乗せている理由のひとつとしては、それこそが最も安全に生き残れる道だからという理由があります。前線で危険には晒されているけど、決して致命傷を負う事はない。結果論ながら、常にシンジは使徒との戦いで生き残り、その物語を成長させているわけです(これがいわゆるシナリオ通りというやつ)。
 おそらくその結果論も、結果が見えているからゲンドウはやっている。旧劇場版でレイに裏切られるまでは、ゲンドウは全て何か道筋が見えているシナリオに沿って進行しているように見えます(これがおそらく死海文書の記述通りというやつ)。
 ここでいちいちTV版を再度見返して細かいチェックをしていくと時間がすっげーかかってしまうのでさすがにやりませんが、「これは不器用なオヤジが息子に愛情をまっすぐ注げない話なのだ」と思いながらエヴァを見ると、ゲンドウがいかにシンジのことを思いやって行動しているのかがよくわかります。
 最初に無理やりエヴァに乗せるのだって、サードインパクトが起きたら元も子もないから呼んでいるわけで、呼んだからにはエヴァにとりあえず乗って使徒倒してくれないと危険でしょうがないから乗れって言ってるんですよね。逃げちゃダメだも何も、逃げ場はどこにもないんです。あえて言うなら逃げ場はエントリープラグの中だけで、その逃げ場はゲンドウが用意してくれている。
 特に顕著にゲンドウの不器用な愛情が見て取れる回は、三号機の起動実験、トウジの乗る三号機が使途に乗っ取られて戦わざるを得なくなる話です。この回は自分の周りでは特に「ゲンドウはシンジにあんなことをさせて鬼畜だ」と言う意見が聞こえてきたんですが、むしろ逆です。戦おうとしないシンジに対してゲンドウが説得するシーンでも言っていますが、「やらなければお前が殺されるぞ」というシーンなのです。あそこでダミープラグを使わないと、愛する(そして補完計画に利用するべき)息子が死んでしまうのです。ネルフ本部の誰もが避けて通りたい嫌われ役を、シンジのためにあえて買って出ているのです。
 そして旧劇場版では、これはもうはっきりと、ユイとゲンドウの回想的会話シーンにて、ゲンドウのシンジに対する不器用な愛情が語られています。
 更には、最後にエヴァとシンジがいさえすれば、そしてそこに母としての女の存在があるならば、人類はどこまででも生きていける。そのためにいままでやってきた。結果としてシンジにうまく接することが出来なかった。かなりはっきりとそう語ってたんですよ。
 なのに何でいまだにゲンドウのシンジに対する愛情があまり認められていないんだ! うまく触れ合えない愛情のぶつかり合いは、相当最初の方の話でヤマアラシのジレンマとして語られてるのに! もう!


 というわけで、僕はここに一度はっきりと、ゲンドウはシンジに常に愛を持って接しているという説を提唱しておきます。
 もちろんこれが世の中で初めての意見だとは思わないので、「こんなことに気づいちゃったよ僕ちゃん天才!」なんて鬼の首を取ったようなことは言いませんが、ギャグとしてのゲンドウシンジラブラブじゃない、硬派なゲンドウの息子への愛情の見解を少しでも広めるために、提唱とか強気に言っちゃうよ。
 で、じゃあ何でレイにはべったり付き添えるのにシンジとの距離は取るのかって? そりゃあ愛した人の姿写しと、自分のいじけた要素の生き写しじゃ、前者に擦り寄って後者からは距離を置きたくなるのは当たり前でしょ。ゲンドウからしたら自分が中ニぐらいだった頃の黒歴史を見せられている感じで、誰も見てないところで枕に顔をうずめて後ろ足バタバタしてたんじゃないでしょうか。